他人を罵倒する職業、罵倒される職業

いきなり何の話かと思われるだろうが、他人を罵倒するのが仕事という職種は案外多い。今日はいかに他人を罵倒してやろうか、毎日そればかり考えて生きている人たちである。
 例を挙げよう。

まずは政治家。
 連日政敵の罵倒ばかりしている。
 議会において罵倒するのは、主としてマイノリティーの方であり、マジョリティーが罵倒される。
総理大臣を始め、政権の中枢にいる人たちは、議会の場で表立っては他人を罵倒できない。殆ど罵倒されるばかりの毎日である。とはいえ、たまに本音が出て、相手を小馬鹿にしたような発言をすることもある。
野党の政治家は、今日はどのようにして与党もしくは政府を罵倒しようか、その材料を集める。特にテレビ中継のある日などは、強い口調で、国民の支持を少しでも自らに得られるよう、政権与党をいかに侮辱するか、作戦を考える。
 しかしその野党の政治家も、立場が変わって、例えば党大会に赴くと、地方の党員など下部組織の連中からひどい罵倒を受ける。
 与党か野党かに関係なく、街頭演説などでは聴衆から罵倒される。
 政権の中枢にいる政治家は罵倒されるばかりと述べたが、それは表面上の話で、実は彼らも、秘書とか官僚連中を常日頃罵倒している。討論会の場では、与党も野党議員を口汚く罵倒する。
 大阪市の橋下市長は、市長もしくは知事という立場にいながら、議会でも野党を、取材現場ではマスコミをも罵倒しているようだが、彼は例外的と言える。しかし彼に関しては、後述するように、法律家という本業がなせる性(さが)なのだろう。
 政治家ではないが、むしろ一般大衆こそ、徒党を組むと攻撃の対象を激しく罵倒する。市民団体の連中は、常に他人を罵倒している。対象は政治家のみならず、同じ市民団体で意見を異にする会派も攻撃の的となり、時にはお互いに誹謗中傷合戦をしている。

次に法律家。
 検事は勿論、弁護士という職種も、他人を罵倒しなければならない。
 民事裁判においても、原告側代理人の弁護士は、およそ被告訴人の人権を無視するかのごとくの口調で罵倒するのが通常である。
 まずは最初に届く訴状。これは告訴された経験のない者にとって衝撃が半端ではない。
 いわく「〇〇万円を支払え」と述べてある。「‥を支払うこと」とかいう生やさしいものではない。
 さらには平素の態度等、実際に見てもいない者が、よくもここまで書けるものだと思うほど、相手側の人間性をも罵倒してくる。
 しかも多くの場合は、原告側本人が感じたものではなく、単なるでっち上げである。すなわち、「この被告訴人は、こんなに態度も悪い奴なのだ」という先入観を裁判官に与えようという作為によるものである。
 政治家で橋下氏は、本来は法律家で他人の罵倒ばかりして来たので、罵倒されっぱなしという状況には耐えられないのだろう。彼にとっては攻撃こそ防御というわけで、この辺りが総理大臣など、根っからの政治家とは異なる。
 政治家や法律家という人種は、常に誰かを罵倒していないと気が済まないのではなかろうか。

次にマスコミ。
 マスコミとは本来、事実を正確に一般大衆に伝えることが、その役割であるべきだ。ところが現状は違う。
 社説などの論評こそ、自らの存在理由と自覚しているようだが、他人を罵倒することにかけては政治家や法律家に負けない。対象は主として政治家だが、芸能人やスポーツ選手とか、同じマスコミの他社であったりする。時には我々医師をも罵倒する。

立場を変えて、今度は罵倒される職業を挙げてみよう。
 医師はマスコミに罵倒されると述べたが、マスコミ以外にも、法律家や患者からも罵倒されることは稀ではない。しかし医師の方は、余程のことがない限り、患者を罵倒してはならない。
 しかしこの医師と患者との関係、一方が罵倒され他方が罵倒するという図式は、殆どの職業で同様の状況がある。商店(コンビニでも量販店でも)と顧客、駅員もしくは運転手と乗客についてもしばしば、前者が罵倒され後者が罵倒している。
 教師も昔は生徒を罵倒し、それが許されていた。ところが今日状況が大いに変化し、いわゆるモンスター・ペアレントに教師が罵倒されている。
 同列に並べるのも問題があるだろうが、警察官と容疑者、刑務官と受刑者の関係も、いわゆる人権派弁護士の活躍により、おかしなことになりつつある。

学者はどうだろうか?
 同じ分野の研究者同士で、学会や時には同じ研究室内でも、バトルをしていることがある。罵倒合戦が最も激しいのは、考古学の分野だと思う。
 しかし一般に研究者というのは、世間からバッシングを受けることが少ない。ということは、たまに罵倒される状況になると、精神的に実に脆い。いい例が理研の研究者達である。

再び医師の話題に戻す。ここでは医療機関という組織内での人間関係について考察する。
 病院も特に規模が大きくなればなるほど、職員同士がしばしば罵倒し合っている。最も罵倒されやすいのは外科医である。
 罵倒まではしないまでも、X線技師や検査技師、あるいは薬剤師が医師に嫌みを言うことは多い。
 外科医は特に手術が下手だと見なされると、主として麻酔科医、あるいは内科医にも罵倒される。
 産婦人科医も非常に罵倒されやすい。産婦人科医を標的にするのは、麻酔科医や内科医に留まらず、小児科医と泌尿器科医に多い。
 私も麻酔科医時代の13年間、しばしば外科医や産婦人科医を罵倒してきた。罵倒したくてしたのではない。実情として、そうしないと生きていけなかったからである。
 自分で言うのもおかしいが、麻酔科医を辞める直前の2-3年間は、心臓外科医と凄まじい罵倒合戦をした。
 しかしここで改めて考えていただきたい。
 罵倒は、する側とされる側では、どちらが健全だろうか?
 政治家、特に野党議員のように、連日他人の挙げ足を取り、いかに罵倒してやろうか、そればかり考えていて精神は勿論、身体も健康であるはずがない。
 私も麻酔科医時代のことを振り返ると、当時の心は相当に荒んでいたと思う。
 罵倒はされてもいいと思う。時には明らかないいがかりで罵倒されることもあるだろう。私も昔の悪い癖で、今でも言われのない罵倒をされると、思わず倍返しをしたくなることがあり、これではいかんと思い留まっている。
 しかし、他人を罵倒することばかり考えるより、世間一般(我々にとってその対象は主として患者だが)のお役に立つように心懸ける方が、こちらも余程幸せである。

結論を述べよう。
 私は高校生時代まで、ディベイトが大好きだった。将来は法律家になりたいと思っていた。
 しかし、看護師だった母や助産師(当時は「産婆」)だった祖母に説得され、医師の道を選んだ。そして今日、他人を罵倒することばかり考えている法律家を見るにつけ、医師の道を選んで本当によかったと思うし、  政治家やマスコミ関係者などを羨ましいとは全く思わない。
 同様の理由で、麻酔科医を辞めて本当に正解だったと思っている。

(2015年 神戸市産婦人科医会報に掲載、一部削除および加筆修正)