「白い巨塔」考察:視聴者として、医師として、モデルとされる大阪大学医学部の卒業生として

 山崎豊子原作の「白い巨塔」はどなたも御存知だろう。初版は1963年より「サンデー毎日」に連載された。1966年には田宮二郎の主演で映画化され(以下「田宮映画版」)大ヒットした。その後テレビでは5回もドラマ化され、佐藤慶(1967年)と村上弘明(1990年)も主演したが、1978年の田宮主演(以下「田宮TV版」)、2003年の唐沢寿明主演(以下「唐沢版」)、および2019年の岡田准一主演(以下「岡田版」)の3部が高視聴率を得て、田宮映画版、田宮TV版、唐沢版はスカパーなどで何度も再放送されている。

 映画が公開された頃、私自身は高校1年生であり、医学部志望も確たるものでなかったので、この物語に興味もなかった。大学に入学して初めて小説を読んだ。

 ストーリーの概略は放送を視聴しなくても多くの人が知っているし、今更おもしろい云々を議論する必要もないだろう。

 前半は貧乏な母子家庭に育ち苦学して国立大学を卒業した医師が、天才的な外科医となってやがては教授になるというサクセスストーリーでもあるが、この間の大学教授選に関する権力争い、主人公を取り囲む本学あるいは他学の教授、医局員などの陰謀策動の複雑な絡み合いが描かれている。一般の人は医学部の教授選というのはそのようなものかと思ってしまう。

しかし同様の利権や名誉に絡むバトルは、殆どあらゆる社会で実在する。政治家たる者は社会の福祉向上を議論することが本来の業務だが、実はこのようなバトルこそ仕事内容の大半ではないだろうか。

後半は医療過誤の裁判が主たるテーマである。一般の視聴者は死亡した患者の家族や弁護士にシンパシーを感じるが、医療者なら多くが「こんなことありえない」と感じている。この点に関するつっこみは後述する。

視聴者として

ここでは映画やテレビドラマの配役について、素人である私の偏見に基づいた勝手な意見を述べる。

1)主人公の財前五郎:これは田宮二郎の右に出る者はいない。唐沢寿明も評価は高かったようだが、私の勝手な感想では彼は軽すぎる。言い換えると爽やかすぎる。

岡田准一はよく演じたと思う。彼については低身長なのが財前五郎のイメージと一致しないと言われたが、傲慢さ、本来のハングリー精神、および内に秘めた精神的脆さも申し分なく演じていた。

 私が俳優を選ぶなら、小澤征悦を指名する。あるいは野村萬斎もいい。2人とも高身長で、財前五郎のような癖の強いキャラをうまく演じるだろう。しかし野村萬斎はどちらかというとアウトサイダー的な役の方が似合う。小澤征悦は権力者側の傲慢さを演じさせると実にうまいが、まだ主役を張ったことが少ないのが弱いところか。

2)里見脩二(財前の同級生で内科の助教授:今でいう准教授):生真面目な学究肌で、親友でありながら財前の生き方や診療態度を批判する。医療裁判では患者側の支援をする。結果として出世街道から外れる。

これは田宮TV版の山本學がベストだった。唐沢版では江口洋介、岡田版では松山ケンイチが演じていたが、2人とも原作のイメージからかけ離れている。江口洋介は他人を圧倒する雰囲気があり、生真面目な学究肌とは言えない。松山ケンイチは「デスノート」の印象が強すぎて、何を考えているか分からない不気味なキャラに感じてしまう。

 私は吉岡秀隆を推す。小泉孝太郎もいいかも知れないが、多少爽やかすぎる気もする。

3)花森ケイ子(財前の愛人で高級クラブの経営者。女子医大中退):主人公の愛人だから当然セクシーであるべきだし、財前に対して上から目線の発言もできる。すなわち高い知的レベルの雰囲気も要求される。悪女の要素もある。

田宮TV版での太地喜和子は見事だった。完璧と言って良い。残念ながら早逝したし、生きていても今日では年齢が合わない。

岡田版では沢尻エリカが扮していたが、彼女の演技も及第点と言える。財前に対しての上から目線とか知的雰囲気などが多少もの足らないが、ひとまず80点はやれると思う。ところが放送直後に薬物中毒が発覚し、芸能界から一旦去ることになった。ブルーレイやDVD等のディスク化もできなくなっているが、世間のほとぼりが冷めるのを待たねばならない。

今日の女優で沢尻以外の候補を考えてみよう。米倉涼子は主役を演じるべき人で、悪女らしさにも欠ける。壇蜜は候補となりうるが、イメージ的に少し温和すぎるかも。

多少年齢が高いが、私は杉本彩を推す。

4)東貞蔵(財前の前任の第一外科教授):東都大(言わずと知れた東京大学がモデル)出身で、定年退職を前にして財前のスタンドプレイや自分を小馬鹿にした態度が許せない。基本的に関西が肌に合わない。財前が後任教授になることに公然と反対し、東都大出身の後輩を推す。しかし本質的には学究肌の信頼できる外科医で、悪人ではない。財前も自らが進行癌に罹患した時には、退職していた彼に執刀を依頼する。

田宮映画版では東野英治郎、以後は中村伸郎、石坂浩二などが演じ、岡田版では寺尾聰だった。石坂浩二や寺尾聰も悪くはないが、どちらも根暗という感じに乏しい。

私は堀内正美を推す。真面目な研究者だが、内面のどこかが屈折しているという人物を演じさせると実にうまい。ただし堀内自身の実際の人柄は全く異なる。非常に気さくで優しい気配りのできる真っ直ぐな人である。彼については平素交流が頻繁にある友人ともいうべき人なので、敬称なしで記載するのは非常にはばかれるのだが、ここでは他の役者と同列に議論したいので、やはり敬称を略する。

5)鵜飼良一(第一内科教授):財前を次期教授にするため、いろいろ策動を巡らせる。その理由は己のエゴのためである。財前の味方という形を取ってはいるが、この物語唯一の悪人である。

田宮二郎主演では映画でもテレビドラマでも小沢栄太郎が演じていた。これも完璧だった。唐沢版では伊武雅刀が、岡田版では松重豊が演じていたが、伊武はともかく松重には違和感を覚えた。彼は出世できないアウトサイダーの刑事役がよく似合う。

岡田版で財前又一を演じた小林薫について、この鵜飼良一役として彼を推す。一見紳士的なようで、実は世の中の裏を知り尽くし権謀術数に長けたワルの役がよく似合う。

6)財前又一(財前五郎の舅):脂ぎった産婦人科開業医で、一昔前には多く実在した。「海坊主」と形容される風貌、こてこての大阪弁でまくし立てる押しの強さ、しかしいわゆる策士ではなく金に物を言わせてごり押しをするタイプだが、本質的には善人である。

田宮映画版では石山健二郎という俳優が演じた。ネイティブの関西弁を喋る人ではなかったが、原作のイメージそのものだった。その後は曽我廼家明蝶(田宮TV版)、西田敏行(唐沢版)、小林薫(岡田版)などが演じたが、いずれも原作のイメージとは異なる。小林薫はよく研究して役になりきっていて、さすがに名優だと思ったが、前述のように彼にはむしろ鵜飼良一を演じて欲しかった。

 私が配役を任せられたら迷わず笑福亭鶴瓶を推す。彼以外には考えられない。

7)大河内清作(病理学教授):生真面目そのものの人。世俗的なことには一切妥協しない。その点は里見に共通する人物である。田宮主演の時は映画でもテレビドラマでも加藤嘉が演じた。これほど原作のイメージ通りの俳優もいなかった。「砂の器」での名演技は有名だが、悪役を演じさせても見事であり、名優だった。

岡田版では岸部一徳だったが、ここで再び私の勝手な感想を述べると、彼はワルの雰囲気が隠せない。大河内教授のイメージと完全に一致はしない。

今日の俳優で選ぶなら、私は永瀬正敏か小市慢太郎、あるいはでんでんがいいと思う。でんでんはお笑い芸人出身だが、今やシリアスな演技の方が似合う。この3者の中では経歴からして永瀬がベストか。

8)佐々木庸平(財前の執刀後に死亡した患者):岡田版では柳葉敏郎が演じた。以前は谷幹一(田宮TV版)など、いずれも名優だった。ストーリー全体において重要な役割を占めるので、配役も慎重に吟味されたのが分かる。大阪の個人商店主で、苦労して商売を軌道に乗せた。

ネイティブの関西弁が喋れる人がいい。二枚目は好ましくない。苦労人で結局は無念の死を遂げるという役柄から、暗い表情の似合う人がいい。

以上の条件から、私はラサール石井を推す。他に関西の中年お笑い芸人でシリアスな演技ができそうな人を挙げると、ぼんちおさむ、オール阪神、トミーズ健あたりか。

 以上より、一素人の私個人が勝手に希望した配役だが、ベストとしては

1)財前五郎:小澤征悦

2)里見脩二:吉岡秀隆

3)花森ケイ子:杉本彩

4)東貞蔵:堀内正美

5)鵜飼良一:小林薫

6)財前又一:笑福亭鶴瓶

7)大河内清作:永瀬正敏

8)佐々木庸平:ラサール石井

医師として

 原作者の山崎豊子には失礼だが、医学的観点からこの物語にはどうしようもない矛盾点がある。同様の感想を持つ医療人は多いだろう。

 すなわち、悪性腫瘍(原作では胃の噴門部ガン)の手術を行ったものの転移巣(原作では肺)を見逃していたため、手術をすることで悪い転帰に至ったという。このような展開は医学的にはありえない。悪性腫瘍があれば、転移巣の有無に関わらず原発巣を除去しなければならない。転移巣があるから原発巣を除去してはならないという理屈はない。

 原発巣の術前に転移巣の精査を行うことが必須とはいえない。原作における胸部断層撮影あるいはCT撮影などは、原発巣の除去後に改めて行えばいい。後に転移巣が確認されれば、そちらへの対応(手術、放射線療法など)を行えばいい。もちろん原発巣と転移巣を同時に摘出するということもありうるが、そうしないといけないということはない。

 映画からテレビドラマと何度もリメイクされ原発巣と転移巣の内容、術式も時代に応じて脚色されてきたが、本質に差はない。

 では今後ストーリーを改変するなら、どのような病態あるいは治療手技を取り上げたら矛盾もなくなるだろうか?

 原疾患に対する治療に明らかな過誤がない限り、手術で悪い方向に急変するという病態は考えにくい。例えば消化管手術で縫合の方向を誤ったとか、切離するべき血管を誤って別の重要な血管を切離したのであれば、手術によって状態が悪化するのが当然だが、財前五郎のような天才的外科医がそのような事態を招くなど、人物像の設定に矛盾する。

 身体のどこかに術前診断されていなかった膿瘍があって、術後もドレイナージをせずに抗生物質投与だけで対処して敗血症に至ったというのなら、ストーリーとして成立するかも知れない。

あるいは術前に確診されていなかった大動脈瘤があり、その可能性を危惧して術前にCT検査をする必要性を主張する医師がいたが、その意見を無視して手術を強行し、術中あるいは術直後に大動脈瘤が解離もしくは破裂したというストーリーも医学的に矛盾しない。

 次に現実離れしていると思われたのは、医療裁判についてである。医療裁判で患者もしくは家族が訴える相手は医師個人ではなく、その医師が所属する施設あるいは組織である。告訴された側の施設の医師間で、事例に関する意見がまとまらなければ裁判の前に十分な話し合いを行う。施設として有責か無責か、有責とすれば原告側の主張をどの程度認めるかを結論として出し、裁判ではそれを主張する。もしくは裁判前に原告側代理人と話し合い、和解の折衝をする。この物語のように被告訴施設の別の医師が、主体となる医師を裁判所で責めることなどありえない。ただしここで描かれた上告審のように、退職した旧職員が原告側に立った陳述をすることはありうる。

 さらには多少細かいことだが、大河内教授の裁判所における台詞に違和感を覚えた。

すなわち「です」調ではなく、「‥だ」「‥である」調で通していた。今日いかに世俗から遊離した研究者であっても、研究室や会議、あるいは裁判所であのような口調で発言することはない。リメイクされるなら次作では是非とも常識的な口調による台詞を設定して欲しい。

モデルとされる大阪大学(以下「阪大」)医学部の卒業生として

 ここでは芸能人でもスポーツ選手でもない、偉大な先輩や名誉教授など敬称なしで記述するには恐れ多い人物ばかりを取り上げるが、文章の構成上敢えて敬称を略す。失礼を御容赦いただきたい。

モデルとなった事件は千葉大の中山恒明(後に東京女子医大教授)に関連したものという説もあるが、詳細は不明で、前述のようにストーリー自体が医学的にはありえない。

財前五郎=神前五郎?

 神前(こうさき)五郎は昭和18年の阪大(当時は大阪帝国大学)卒で、第2外科の講師から「白い巨塔」刊行時は大阪府立成人病センター(現:大阪国際がんセンター)の外科部長だった。手術の技倆に優れたのみならず、X線写真の読影など傑出した臨床医だった。彼には「白い巨塔」のような医療トラブルはない。

 私の卒業と同時期(昭和50年)に阪大第2外科の教授となった。私も昭和52年より阪大病院麻酔科に所属し、彼の手術には何度か立ち会った。手術は確かに上手だったが、手際がいいというより丁寧な操作をする人だった。当時としても昔風の外科医で、ゴムでなく綿製の手袋を用いていた。手術が佳境に入るとしばしば手袋を脱いで、素手で消化管を触っていた。これには最初は驚いたが爪は常に短く切ってあり、汚いという感じはしなかった。職人として手触りの微妙な感覚が重要だったのだろう。性格的には財前五郎と大きく異なっていた。口数は比較的少なく、回診などで患者と話をする際にも傲慢な態度ではなかった。

 昭和58年の定年退官後は東京都立駒込病院の院長を務めた。財前五郎は自らが進行ガンになって早逝したが、神前は95才で肺炎のため亡くなった。

 一説には山崎豊子と神前は幼なじみで、小説を書く際に名前の一部を拝借したという噂もあるが、神前は千葉県出身で「幼なじみ」ではないだろう。大阪のどこかで交流があったと思われる。

 

この物語で描かれたような教授選に関わる陰謀策動が、この時代の阪大にあったかどうかは知らない。しかし当時の教授の権限は絶対的なものであり、利権もいろいろ絡んでいたのは事実だろう。小説に書かれた当時も私が在学中から麻酔科に在籍していた頃も、阪大病院は巨大な建物で(私の入学時に教官連中は「大きいだけが取り柄」と自虐的に言っていた。)、東端西端のそれぞれには同一路線の別のバス停があった。堂島川に面した一等地にあり、北新地もロイヤルホテル(現:リーガロイヤルホテル)も徒歩圏内だった。平成5年に現在地の吹田市に移転したが、それ以前から教授等の権力構造も「白い巨塔」の時代とは大いに変わった。

 正直申して、当時は財前五郎や鵜飼教授のような人物も実在していた。私の在学中に内科教授だったA(彼に限っては、ここで実名が出せない!)は政治的手腕に秀でて、特に夜の世界での人脈がすごかった。別名「キタの帝王」だった。鵜飼教授とキャラが重なる。彼の講義は「言語明瞭、意味不明瞭」で、一体何が言いたいのかさっぱり要領を得なかった。しかし弟子には優秀な研究者が多かった。卒業試験は教授自身よりも助教授や講師からいろいろ厳しい質問をされたが、何とか1回でクリアさせてもらった。Aも定年退官後は大病院の院長を務め、96才で亡くなった。私自身は卒業後に彼との接点はなかったが、個人的に悪い印象はない。

 当時阪大第3内科教だった山村雄一も優れた研究者で、後に阪大総長となり、弟子としても岸本忠三を始め高名な研究者を多数育て上げた。政治的手腕にも優れ、夜の世界でもAと同様に人脈が広かった。丸山ワクチンが結局日の目を見なかったのは彼の策動によると言われているが、これの詳細を語ると長くなるのでここでは触れない。彼の講義は実に理路整然として理解しやすく、聴いた後はしばし自分自身も賢くなったように錯覚した。

 他にも第1外科の曲直部寿夫、第2外科の陣内傳之助(神前五郎の前任)、第1病理学の宮地徹など名物教授が揃っていた。今で言う「キャラの濃い」人が多かったが、改めて時代は変わったと感じる。今日では夜の世界を制している教授など、全国的にも皆無だろう。

 しかしそれでは財前五郎のような人物はいなかったのだろうか。「白い巨塔」が世に出た時、財前五郎の性格は第2外科の第2代3代教授(神前五郎は第5代)の岩永仁雄と久留勝の2者を足して2で割ったものと噂された。私はさすがにその人達を知らない。

 北村惣一郎という心臓外科医がいる。国立循環器病センターの名誉総長で後に堺市立医療センター理事長を務めた。昭和40年(1965年)卒だから「白い巨塔」が世に出た頃は大学生だったはずで時系列的にありえないのだが、私は彼こそが財前五郎のモデルではないかと思ってしまう。

 阪大を首席で卒業した秀才で、映画俳優にしてもいい程にハンサムである。眼光は鋭い。我々のような周囲の凡人を圧倒するが、人を引きつけるオーラもある。財前五郎のように愛人がいたかどうかは知らないが、女性にもてた。

彼の書いた論文の殆どは複雑な数式が羅列してあり、これを理解できた医学者が何人いたのだろうかと思う。アメリカで長年臨床に従事し、その間も多くの論文を発表した。手術成績にも優れ、神前五郎と同様に、丁寧で慎重な手術をしていた。阪大の講師から奈良県立医大の教授になり、そこでの手術実績も素晴らしかった。その後国立循環器病センターの院長から総長になった。

 性格的には癖の強い人で敵も多かったが、他人に対しては、その人を敵に回すと損するか否かを瞬時に判断していた。目上の人に対する礼節は心得ていたが、「どんくさい」部下に対してのパワハラは凄まじかった。財前五郎と同様に出世欲は強かったと思う。

 医療裁判に至った事件の噂は聞かないし、早逝もせず現在80才前だと思うが健在である。私は「白い巨塔」のストーリーを見る毎に彼を思い出す。

(2020年 神戸市産婦人科医会報に投稿)