「仁義なき戦い」の真実

未曾有の大災害に遭いながら、被災者の殆どが冷静に行動していることで、世界中が驚嘆していると聞く。ところが一方では、国をまとめるリーダーが不在、もしくは不適格で、その点は嘲笑されているらしい。
 外国の人がどのように感じようが、それらの人々の勝手でもあるが、いずれも正しい指摘ではあろう。
 確かに現首相(注:2011年当時)も、原発問題で揺れる東京電力の社長も、規模相応のリーダーたる資質に欠けているのではなかろうか。
 古くより「自軍の将が馬鹿だと、敵軍より恐い。」と言われる。これは事実だと思う。
 飯干晃一著の「仁義なき戦い」は私の愛読書で、映画化もされて、5本のシリーズ作は大ヒットを記録した。私は今でも、これほど面白い映画はないと思っている。
 内容はいわゆる「やくざ物」だが、史実が元になっているので、高倉健主演の映画のような美化された英雄は出て来ない。
 原作の元になったのは、呉市の元組長である美能幸三氏の獄中手記であった。この手記は、唐突に終わっている。
「つまらん連中が上に立ったから、下の者が苦労し、流血を重ねたのである。」
 実は、この最後のたった一言こそが、美能氏の手記および本著作、映画の根底に流れる主テーマなのである。
「リーダーがアホだと、下の者が不幸になる。」
 すなわち帝王学を逆説的に説いたものと考えればわかりやすい。当たり前と言ってしまえば、その通りだが、極道や政治家、あるいは大会社の経営者に限らず、我々医者の世界も含めて、日常心すべき重要なメッセージだろう。
 社長が「体調が悪いから」と避難入院をして、一切矢面に立たないようにしていた東京電力。そこの社員は今日実に不幸だと思う。
 国という単位で考えても、総理大臣の器によっては、全国民が不幸になりかねない。
 日本という国は昔から、独裁者も出ないが、英雄も出にくい。国民性が控えめなためか、はたまた足の引っ張り合いが好きなためか、多分その両方によるのだろう。
 菅直人という人自身は、決して無能な人とは思えない。しかし、例えば小泉純一郎とか、少し古いが田中角栄などに比べると、カリスマ性もなく、器が小さいように感じてしまう。
 この2人が現首相と決定的に違うのは、いずれも有能な参謀を従えていたということである。名宰相には必ず名参謀がいる。ところが現首相には、その影が見えない。
 私はもちろん政治家ではないし、評論家でもないが、「仁義なき戦い」は、日本国民全体に近い将来訪れる不幸な事態を、予言しているように思われて仕方がない。
 この際言いたいことを更に付け加えるなら、我が医師会も、エゴむき出しの覇権争いなどをしていてはいけない。「仁義なき戦い」は、「つまらん」リーダーとは低次元のエゴをむき出しにする者と教えている。
 私自身も、小さい診療所のリーダーである。及ばずながら、自分自身に対する戒めの言葉ともしている。

(2011年5月記)