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No.28 故・山本繁太郎先輩を偲んで

  

 

柳井高校18回卒で、前山口県知事の山本繁太郎先輩は、平成26年3月15日に逝去されました。
同窓生の皆様はよく御存知と思いますが、山本先輩は東京大学法学部在学中に国家公務員?種試験に合格。いわゆるキャリア官僚として建設省(現:国土交通省)に入省され、以後は内閣府等を経て、平成20年に衆議院議員補欠選挙に出馬されるも惜しくも落選。その後、平成24年7月に山口県知事に当選されました。

知事就任当時より健康状態が思わしくなく、病状について当時は、「呼吸器疾患」とか「自然気胸」などと噂されていましたが、その頃より肺癌を発症されていたものと推察します。
平素より毎朝ラジオ体操をされたり、健康には人一倍気遣っておられたことを知る者としては、その病名を伺うに及び、誠にやるせない思いでおります。勿論タバコなど1本も吸われる方ではありませんでした。
肺癌にもいろいろ種類があり、病因としてタバコが大いに関係する小細胞癌や扁平上皮癌ではなく、おそらくは特殊な腺癌もしくは細気管支肺胞上皮癌だったのではないかと推測します。ただ、そのような邪推をするのは、我々医師の悪い癖であり、ここでそのようなことを述べてはならないのかも知れません。しかし、肺癌と聞くとどうしても「あの人もタバコを吸っていたのか」という偏見が噂となりかねませんので、ここでは些細なことかも知れませんが故人の名誉のため、申し添えておきます。
それにしましても、先には「健康には人一倍気を遣っておられた」と書きましたが、衆議院選に落選されて県知事選に当選されるまで、浪人とはいえ今後の政治活動の準備のため相当に多忙だったはずです。その4年間に健康診断をきちんとなさっておられたのか、具体的には胸部のレントゲン撮影を定期的に受けられていたのか、懸念しております。
肺癌も進行の速いもの遅いもの、いろいろあります。私の昔の同僚も、30才過ぎで「風邪がなかなか治らない。」などと言いつつ久しぶりにレントゲンを撮ってみると、もうどうしようもなく進行した肺癌だった者がいます。定期的にきっちり検診を受けていても、どうしようもなかった場合もあり得るでしょう。しかし私はやはり、あの山本先輩が肺癌で亡くなるなどとは、とてもではないが信じられなく、言葉で言い表せないほど残念なのです。

山本先輩の人柄については、私が改めて述べるまでもありません。全く偉ぶるところがなく、誰の話でも真剣に耳を傾けられる人でした。政敵以外なら、彼のことを悪く言う人は、まずいないでしょう。
また政治家としての才能や哲学についても、現職の国会議員で彼以上に卓越したものを有する人が、果たして何人いるでしょうか?
まずは山口県政について、おそらくは国政についても壮大なビジョンを持っておられたはずです。山本先輩にとってはまさしく、これから花開く時であったのです。御自身は勿論でしょうが、我々同窓生としても、誠に無念であります。山本先輩の逝去は山口県のみならず、日本国全体にとっても、大いなる損失です。

実は私自身は、個人的に山本先輩と浅からぬ因縁がありました。とは申しても、私がお役に立てたことは一度も無く、一方的に私の方がお世話になりました。
私は柳井高校19回卒ですから、山本先輩の1年後輩になります。
18回卒は、我々の学年が足下にも及ばぬ位の秀才揃いでした。木阪崇司先輩(科学技術庁長官官房審議官を経て、現つくば科学万博記念財団理事長)と西村泰顕先輩(前NHK役員)は現役で東大に合格されていました。同窓会誌をご覧になるとわかりますが、他にも多数の先輩が難関大学に進んでおられます。
山本先輩は1年浪人後に東大に入学されましたが、東京の駿台予備校に1年間通われていました。当時の駿台予備校がどれほどすごいものであったか、東大には毎年3000人が入学しますが、約半数が駿台出身でした。駿台でも最難関が午前部で、文化系(生徒数約1200名)と理科系(約1600名)に分かれていましたが、両クラス合わせると毎年約1000名が東大に入っていたのです。
私も現役で東大を受験しましたが、落ちました。当時の学力では当然のことでした。そこで駿台予備校午前部に入学しましたが、今にして思えばそこに入学できたのが奇跡でした。それはともかく、柳高在学中は全く面識がなかったものの、同じ東大志望の駿台生ということで、高校時代の共通の恩師であった藤兼先生に山本先輩を紹介して頂きました。
東京の下宿に伺って、以後数度にわたって下宿に泊めて頂いたり、食事をおごって頂いたり、当時の私の厚かましかったことといえば限度を超していました。今でも思い出すと赤面の至りです。
当時の山本先輩は、東大生であっても坊主頭、学生服姿で、バンカラそのものでした。柔道もしておられましたが、風貌は柳高生の時と全く同じでした。言葉も柳井弁そのものでした。
山本先輩の同級生で親友の弘田公先輩(現弁護士)にも、同時期大変にお世話になりました。弘田先輩も駿台予備校に通われ、当時は早稲田大学法学部に在学中でした。その弘田先輩が、山本先輩の告別式で弔辞を読まれたのこと。私は前日の通夜には参席しましたが、当時以後は今日に至るまで弘田先輩にお会いもしていなくて、改めて当時の御恩の御礼を申し上げなければならないと思っております。
さて、山本先輩には大学卒業後も何度かお会いしました。国土交通省から大阪府に出向されていた時期があり、平成5年前後かと思いますが、この柳高同窓会近畿支部にも参席頂いたことがあります。当時もかなりの御多忙であったはずですが、別の機会に食事も付き合って頂きました。こちらが誘っていながら、バーでまたも御馳走になったことがあります。
その後東京の本庁に戻られてしばらくは、お近づきになる機会もありませんでした。
平成15年に、例の道路公団理事長(当時)の藤井治芳氏を、国会で追及される担当者となられましたが、その時テレビで久し振りにお顔を拝見しました。ずいぶん痩せられたなというのが当時の印象でした。
その後にお会いできたのは衆議院選後の、いわゆる2度目の浪人時代です。私も近畿支部を代表する役割で、本同窓会の本部や東京支部に伺っておりますが、その場で何度かお会いしました。以前に比べると多少健康も回復されたように思い、いずれはこの近畿支部でも御挨拶頂こうと念じておりました。
いやそれ以前に、いつかは御恩返しをしなければならないと思っていました。
山本先輩の従弟で私の同級生である河村寿夫君(現JAすおう理事長)にも、何か山本先輩のために役に立てないか、金が要りようと言われるなら大した額は出せないが、山本先輩のためならできる限りのことはする、と言っていました。
しかし結局は県知事にはなっておられましたが、昨年の東京支部でお会いしたのが最後となり、些少の香典しか献上できませんでした。私として悔やんでも悔やみきれない思いでおります。

この場をお借りし、改めて山本繁太郎先輩の御冥福をお祈り申し上げます。
先輩、本当にいろいろありがとうございました。
誠に不肖の後輩で、申し訳ありませんでした。
合掌。

(平成26年、柳井高校同窓会近畿支部会報に掲載)

 

 

 

 

 

 

 

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